| 
映画館や学校の先生をされている他に様々な社会活動もされているそうですが、十勝文化会議について教えてもらえますか?
十勝文化会議っていうのは、地元の十勝毎日新聞社(十勝では道新よりも読者が多い)が中心となった様々な文化の集まり(歌や花や20部門以上ある)です。数年前に映画部門を作らないかと言われて立ち上げました。年に1回公共ホールで上映会をやっているんです。今年は日本国憲法関連の『ベアテの贈り物』を十勝プラザで上映しました。『たんぼdeミュージカル』も上映しましたよ。上映の他に映写講座などもやっています。
もう一つの「帯広十勝の映画文化を考える会」について教えてもらえますか?
シネコンがサティーのところに進出するという話が出てきた時にこの会を作りました。偉い人に来てもらいまして帯広の映画シーンはどうなんだとか、地元の映画館の要望だとか様々な会議を十数回しました。
一番最初は江別にある北方映像フォーラムに安田くんっていう男がいましてね。彼は小栗康平の『眠る男』の北海道の中心でした。ひょんなことから個人的な繋がりがあることが分かって仲良くさせてもらいました。彼も色々映画に関わっていたのでシネコンってなんだろうかっていう話を一番最初に来てもらって話してもらいましたね。ま、メリットデメリット、戦略的なものなど色んな資料を元にです。
その過程の中で札幌のシアターキノの中島洋さんにも来てもらって映画のあり方はどうあるべきかなど話してもらった記憶がありますね。
マイカルとの公開討論会なんかで僕が話したのは「市民に開放する日はないのか」ということですよね。そういうことについてどう思うのかと。僕らがミラノ座を借りて上映したように、そういうことはあり得るのか無いのか。そこは僕たちにとっては最大の重要な問題だからね。そこだけは一番熱を入れて話をしましたよ。
結果それはやるということになりました。ま、途中から来る人達はやっぱり地元のことを気にす
る訳だから。今までの活動とか歩みをね、尊重したくなくてもせざるを得ないというか。その論議の中では彼らも開放すると言っていたけど、それを例えば江別だとか釧路だとか北見だとかで実際にやっているかどうかは別だよ。そこじゃどんな会があったか、どんな歩みがあったか無いかが関係してくるとは思うんだけれども、帯広においては彼らは言明したから。非常にうれしいなぁと僕はその時思ったね。

そういう話し合いがシネコンができる前にあるものなんですね?
いや、あるものっていうか、ただ単にマイカルができることによって地元の映画館が危なくなるということだけでやっているのではないんで、どういうのが望ましいのか、カッコつければですでども(笑)。色んな思惑の人がいてそれで、地元の映画館が残ればいいと言う人もいるわけで。ま、結果的にはマイカルが撤退したんです。
マイカルの話がなくなって、シネマ太陽がきたんですよね?
シネマ太陽が出てきたのは僕もよく分からないので、知らない間にスイスイと決まってました。ちょースピードで来ましたよ(笑)。その時の話では箱はシネマ太陽が作って、経営はキネマ館に依頼するというような話があったんですけれどね。それはそれで面白いかもと思いました。それも結局はキネマ館と折り合いが付かなくて、太陽は函館でもシネコンをやっていますから、そっちのノウハウがあるのでそれをそのままとなったんでしょうね。で、ちょうどシネマ太陽がオープンした同じ月に私たちのシネマとかちも『さよなら、クロ』でオープンしました。
それまでは箱を持たないでやっていたんですよね?
そうですね。ジプシーみたいに転々とホールを借りたりして。うちのスタートの『ブエナビスタソシアルクラブ』のときもミラノ座を一日借りました。席は70〜80だったと思います。一日で4、5回上映して250人くらいきてもらえました。ほとんど満席でしたね。僕なんかは2月に1回やればよいかなと思っていたんですけど、バカだからそのお客さんの数を見たらまた次もすぐやった方がいいかなとね(笑)
その辺はアバウトでしたよ。で、翌月も『オール・アバウト・マイ・マザー』を上映しました。それで、こうなればもうずっとやってしまおうかと。それは映画文化の会で中島さんを交えて呼んだ時に、ちょっと愚痴をこぼしたと思うんですけども「2ヶ月に1回の上映でやっているので上映できない作品ばっかりなんですよ」と言ったら、中島さんに「じゃあ、毎月やればいいじゃん!」って言われましてね。「そんなの分かってるよ」って言ったんですけど(笑)。でもその言葉がずっと残っててですね、そっかと。17年とかやってきたけど、やりたい作品があればもっとやればいいだけだと。じゃ、やろうか!という感じです。
|