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島田英二 (映画監督/maxcoreroom)

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ninococoon藤原幾

最初に映画館を作ろうと思いついたきっかけはなんですか?

西宮へは大学入学と同時に来ました。もともと映画館の無い街と思ってたんですけど、ある時後輩か誰 かになんで西宮に映画館が無いのかという理由を聞かされたんです。そしたら文教都市条例というのがあって、そこは大学とか学校が多い文化的な街として、景観をよくするとかそういうのを目指してる街であって、だから映画館が無いという話をちらっと聞いたんです。

それはおかしいんじゃないかと思って。要は映画を娯楽として捉えてる。現に今回シアターギミックを開催してみてわかったんですけど、法律的には例えばパチンコ屋さんよりむしろ建設が難しかったりする。やっぱり文化というより娯楽という面の方が大きいんですよね、法律でいうと。文教都市と言ってるんだから映画館があって然るべきなんじゃないかと思ってたんですけど、どうやらそうは考えられてないらしいということで、それはおかしいと思って市役所に聞きに行ったんですよ。

そこがおもしろいですよね。どんな風に聞きに行ったんですか?

聞きに行ったら早いかなと思って。アポなしで(笑)。その時は建築関係の担当部署だったと思います。「すんません、西宮市民なんですけどなんで映画館無いんですか?」と。実はその時は宝塚市民だったんですけどね。(笑)そしたら「別に文教都市は関係ないけどね」という話でした。昔は映画館たくさんあったんだよと言われて。震災があったときに最後の1館が無くなって、もっと歴史を遡ったら昭和33年くらいは15館くらいあったんだよという話でした。その時は西宮に限らず全国的に映画館が多かったんですけどね。街頭テレビがあって、テレビの時代があって、そこに入る前が昭和33年くらいですね。各駅に映画館があったというそういう時代ですね。

そんな話を聞いたらそれは面白いなと思ったんで、映画館の跡地を自分のフィールドワークとして探しに行ったんですよね。そしたら空き地とかパチンコ屋とかマンションになっていて、それを写真に収めたりして。付近の人の様子とか聞こうと思って、知り合いのいとこの八百屋さんとかにいきなり行って「映画館あったらしいですねぇ。」とか言って。そんな話をネットで書いてって、最初はホームページのコンテンツのひとつとして、第一回はここに行きました、第二回はここに行きましたという形で、構想としては十話くらいのつもりで書いてたんですけど、そのうち調べたいこととかがどんどん出てきて、なんとなくフィールドワークとして定着しました。映画業界の人に聞いたのもあるし昔映画館やってた人もいるし、映画だけじゃなくて西宮の議員をやってる人とか。で、いろんな側面から話を聞いて人を知るうちに、西宮で上映会をやってる方がいらっしゃったんですよ。その方は昔映画館の支配人をやってたそうで、上映会をやるからパネリストとして来ないかって話をくれて。もう一度映画館が欲しいですよねって、自分の活動についての話なんかをしました。

その時にお客さんとして来てた一人の人が、活動に対して「面白いね」って言ってくれて、一緒に何かしようという話になって、勢いで上映会を開催してみることになりました。それがシネギミックの活動の発端です。その後は割と出会い系みたいなもので(笑)。情報発信をしていたホームページを通じて仲間が集まっていきました。

僕の本業はライターですけど代名詞的な活動って絶対必要だと思うんですよね。今は映画館を作ろうとしてる奴と認識されてるんで、その分なんか面白い奴って思われて仕事に繋がったりということもあるので間接的には役に立ってると 思います。

 


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