札幌インタビューマガジン   SIM

vol.3 表紙

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島田英二 (映画監督/maxcoreroom)

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ninococoon藤原幾

●駅裏8号倉庫(以下 駅8)に関わったきっかけを教えてください

私はその頃4丁目プラザ(以下 4プラ)に勤めていたんです。ビル全体を運営管理する会社に企画宣伝部があってそこで働いていた。今も7階の自由市場ってあるでしょ、あそこのギャラリーになっている場所があるじゃない。当時そこを4プラホールって呼んでて、そこの担当だったんですよね。

あのフロアは元々食堂街だったんですよ。ところがそれがどうもうまくいかないということで、改めて7階の自由市場がオープンした。だからある意味話題の場所だったし、若い人たちがたくさん集まる場所だった。今はJR札幌駅の方が盛んだけど当時は4丁目交差点が札幌の商業の中心でしたから。

そしたらね、そこで芝居をやりたいって人がいっぱい来たの。その当時私はそんなに芝居と関わりはなかったので、自分の知識としてはこんなところで芝居なんかできるの?ってかんじだったけどね。実際芝居をするといっても、空間自体は今とまったく一緒なので天井も低いし、周囲の売り場の音も入ってくるでしょ。逆に芝居でギャー!とかやると全部売り場に響く。そういうなんともいえない状況ですよね。それでもそこで芝居をするっていうグループがいくつも来たんです。そんなわけで私は地元の演劇をやっている人達と知り合っていくわけですよ。駅8の代表だった劇団53荘の植田さんなんかも自由市場で芝居をやっていた関係で知り合ったしね。

でもあそこは不特定多数の人を集めて入場料取るのは興行場法や消防の規則に反するわけ。だからビルの管理部からいつもやめてくれって言われてて。鍔迫り合いしながらもなんとか2、3年やったんですけど、いよいよダメだという時に駅8の話がでたんですよ。で、じゃあもうわかったと。自由市場で演劇するのはナシ。その代わり駅8をやるんだったら私も仲間に入れて、っていうことで。

私はそれまでは仕事でそういうことに関わってたんですけど、もうその時点で私自身演劇の面白さに入り込んでたんでしょうね。そこからは個人として知り合った人達と一緒に活動しようかな、っていうふうになったんですね。

●運営委員の中で飯塚さんはどういった位置づけだったのでしょう

私は自分が演劇やってるわけじゃないし、表現する人間ではないから、ちょっと他のみんなと違っていたかもしれないですね。高いところに登って工事したりとかも出来ないし、なんか、役に立たないんですけどね。ただ、当時はあまり意識してませんでしたがマネージメントなりプロデュースしていく立場、それから空間の運営とか、そういうことが自分の関心事なわけね。こういう風にしたらお客さん来てくれるんじゃないかとか、どう宣伝しようかとかですね、当時は明確に意識はしてなかったんですけどもマネジメントをやっていたわけですよね。今私はアートマネジメントの仕事をしていますが、あの頃やっていたことは結局それと同じね、って今考えると思います。



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