札幌インタビューマガジン  

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ninococoon藤原幾

映画に興味を持ったきっかけを教えてください

水戸に住んでいた少年時代に原一男監督とかと出会ったんだけれど、当時非商業映画やアンダーグラウンド映画の作家がいっぱいいました。その人達の映画の作り方はたぶんアメリカのアンダーグラウンドの影響があったんだろうと思います。お金かけて役者揃えてスタッフ揃えてっていうのが無くても、きちんと映画が成立するっていうのがわかって楽しかった。そこから入っていきました。20歳くらいの頃は仲間と8mm映画制作なんかもしました。

その後、シネマトーラスの設立までを教えてください

20代の頃、小樽で自主制作映画とかの非商業映画の上映をずっとやってた。非商業映画っていうのは大体の人が知らないから、その知らない映画を見に来てもらうのは難しい。だから自分としてもここでの活動をしていたからたくましくなれたと思う。ここでの経験が今のベースと言えるね。

その後、結婚を期に小樽を離れて妻の実家のある白老に移ったけど、やっぱり好きなものを忘れられなくて。そして隣街を見たら結構人が固まってるなと。人がいれば中には俺みたいなやつもいるだろうと。そう思って苫小牧で寺山修司の作品の上映会をやったら結構人が来てね。寺山修二で来るんならたぶんいけるだろうと。それまでの経験からそ ういう判断は付いたから。それから大島渚とかい今村昌平とか小津安二郎とかをやって、そこでも結構人が来てくれたね。

当時ちょうど札幌映画祭が始まった頃だったので、こっちも動きを早めようと思って2年目で映画祭を実施したんだけど、これが予想以上に当たってお客さんが劇場に入りきらない状態にまでなった。そして2回目は会場も大きくして、おすぎさんとか林海象監督とかのゲストも呼んで、これも大成功しました。この時の儲けを元に自主上映と映画祭 を15年間続けた。内田裕也さんとか原田芳雄さん、SABU 監督、坂本順二監督とかも来てくれた。

でもやっぱ り自主上映を続けることでその限界が見えてくる。人の出入りが無くなっていって身内ばっかりになってしまう。それを延々続けることも疑問になってきて、そのうちに 中島洋さんが札幌でシアターキノを作って、その後に函館でシネマアイリスができた。それで俺んとこでもできねえかってことで思い切ってシネマトーラスを作った。 でも普通は人口が30万40万くらいいる都市でないとこういう映画館は成立しない。札幌を除いた北海道で言えば函館と旭川くら いでしょうね。でもやってみなきゃわかんないからね。

やっぱり東京でも札幌でも見れる映画を、田舎だから見れないっていうのはどうかっていう想いがあります。


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