| なぜ駅裏8号倉庫はなくなってしまったんでしょうか?
最初の場所は約1年半の期限付きだったから、そこの時点で終わったときに、これはすごくもったいない、ってことで、約半年のあと次の場所に移って活動再開。それが約3年間続いて、建物のオーナーが契約きれたから出ていってくれと言ってきた。近所から色々苦情もきてるし、わけのわかんない髪の長いのが一杯集まってるし、って。
その時に頑張れば続けられたとは思う。だけど12名で4年半やってて気分的には楽しかったんだけど、特にお芝居をやっている連中は自分たちの場を作るつもりでやったんだけど、なんか人の管理ばっかりやっていて疲れてきて、正直言ってしんどかったと。それでもう一回解散しようということになった。
僕はその時点で、今更公共ホールに戻りたくないと思った。小さくてもいいから自分たちのスペースを持ちたいということで、イメージガレリオを作ることになるんですよ。要するに12名みんなでやるのも疲れたし1人で今度は映像だけでやることにした。ということでヒロミ(現・シアターキノ支配人)を誘って一緒にそっちにならないかってことで、シアターキノの歴史が始まるんですよ。
駅裏8号倉庫を経たことで「自分の場所を持つ」という考えに至ったのですか
まったくそうだね。やっぱり自分たちでゼロから作れるっていう喜びは大きいわけで、既存の釘一本打てないような所で映像や芝居やってもしょうがないだろうという、そういう気持ちにみんながどんどんなっていくわけね。
たまたまかもしれないけど、駅裏がなくなった後ベッシーホールが作られてルネサンスマリアテアトロの前進である本多劇場ができた。映像は僕たちのイメージガレリオ。駅裏で火がついたもの、芝居と音楽と映像とかが色んなスペースに分かれてやるようになった。
音楽、映像、芝居が分かれたのはそれはそれで、時代の要求の結果だったのかなとも思う。
当時と今の違いはなんだと思いますか?
やっぱそれなりに「ある」んじゃないかな。そんなに飢餓感がないんじゃないかな。やっぱり僕らは飢餓感があったもんね。周りになんにもないからやっぱり自分たちでやらないと、っていうようなことはあったよね。
場みたいなのでいえば札幌くらいだと中途半端で、例えば山形くらいだったら2.30万人だから、なんかやればバーッとひろがる。山形の映画祭なんかそうだよね。
今7大都市とかいわれている所の方がみんなで集まってなんかやるという風にはならない。結構なんかある、色々なことが分散している、っていうかんじですよね。
真冬のブリザードみたいなことを共同でやれると面白いんだけどね。
例えば1週間やって芝居と映画とどっか共同で、1週間に50個くらいの催し物やってそれを全部見れると、状態にして、24時間ずっとやったりしたら面白いと思うけどね。でもそういうことを今やるのはなかなか難しいよね。
見たい物があったらやっぱり自分たちでやればいいと思う。僕らはそうしてきた。自分たちで見たい物、触れたい物体験したい物があったら自分で持ち込みなさい、と言うしかないよね。 |